左足で登った富士山

[弁護士 吉田恒俊]

 去る7月23日、早朝富士山頂にいました。早朝2時前、息子健太郎と一緒に8合目の池田館から登りはじめ、5時過ぎにようやく山頂の浅間大社奥宮に登頂しました。あこがれの山頂は意外に外輪山が小さく感じました。火口はおどろおどろしい気配で一番印象的でした。
 途中、ずっと満月の月光を浴びながらゆっくりゆっくり登りました。4時頃から東の空が明るくなり、枕草子で「春は曙」の曙を体感しました。しかし、歩みは遅々として進まず、9合目の山小屋、9号5勺の山小屋と、何とかふうふう言いながらようやくたどり着くという有様でした。半月前から出ていた不整脈は、トントンパッと1拍消えて、またトントンパッと1拍消えるのが分かります。ちょっと登ったらすぐ息が切れて休憩です。

 22日の朝、富士宮ルートの新5合目から登りはじめ、8合目の山小屋に午後4時頃着いて、8時頃横になりました。小屋の人が、明日は午前2時と3時に起こします、というから、当然皆さん2時まで寝ているものだと思いました。 せんべい布団でおしりが痛くて熟睡できず、うとうとしたら皆さん12時頃から起き出したので、4時間しか横になっていないのに、もう寝ておれません。なんでこんなに早く起きるのだと思ったのですが、皆さん2時からでは登り切れないということを知っていて、早く出立したのです。

 私は、右足の股関節が曲がりません。手術をしてそうなったのは、13歳の時ですから、今から58年前になります。平地を歩いたり、少々の坂道を歩くのには不自由はありませんが、階段や岩場を右足で上がることは難しいのです。だから、山登りの場合、高さを稼ぐのは原則左足だけで、右足はそれを補佐するにすぎません。足腰の疲れは健常者の皆さんの倍以上になります。それでも富士山に登れたのは、約60年間これで生きてきたという慣れと、幸か不幸か私の体重は大変軽いので、左足への負担がその分ぐんと少ないからだと思います。他方、体が大きい息子は登りがしんどかったそうです。

 山頂の奥宮で参拝してみやげにお守りを買い、さて3776メートルの剣が峰に登ろうと思ったら、ガスで辺りは真っ白になっていて、目の前にあるはずの剣が峰が見えません。2,30分待てばいいのでしょうが、気が急いたので、6時過ぎから下りはじめました。登る途中の休憩で忘れた右の手袋をどなたかがロープの柵にくくってくれていたのを取って、ご機嫌で一気に登山口である新5合目の山小屋まで戻ってきました。途中5つの小屋で休憩しながらでしたが、時計を見たらまだ10時40分でした。登りも下りも杖は1本でしたが、右足の代わりとなって大変役に立ってくれました。

 娘泰子の住んでいる富士宮市内のマンションまでバスだと大分待たねばならないので、いったん買った切符をキャンセルしてタクシーに乗りました。切符売り場のおじさんがタクシーの運転手と運賃の交渉をしてくれたのには驚きました。
午前11時半、泰子と孫3人に囲まれて、ホッとしながら、すぐに風呂に入って汗を流しました。心づくしの富士宮焼きそばと白粥をいただいて、2時過ぎに駅まで送ってもらい、夕方にはもう息子と奈良に帰っていました。今朝はあの富士山頂にいたのか、と思うとしばらく不思議な気分でした。

 それから1週間、行くとき薬を忘れて飲んでいなかったのに、不思議に不整脈を感じません。お医者さんは心電図を見て確かに出てないので、薬はそのときに飲みなさいと言ってくれました。富士山さまさまの登山となりました。 両足とも筋肉痛が出なかったことも幸いです。富士宮ルートは勾配がきついので、この次は別の緩いルートで行きたいです。娘は今年中に静岡市に転居するし、家内からは「2度と行くことはないわね!」と釘を刺されていますが、皆さんのお陰で意外に楽な登山でした。                 (平成25年8月1日記す。)

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