天命を知る(下)

[弁護士吉田恒俊]

 50才という高齢になって孔子が知った自らの天命とは何か?なお、天命とは「この世において自分のなすべきこと(使命)」という意味です。
 孔子が、「五十にして天命を知る。」と言ったのは70才を過ぎてからです。
その謎を解くために孔子の半生を振り返ります。

 孔子は、28歳までに魯に仕官したのですが、36歳の時に斉に亡命した昭公のあとを追って自分も亡命します。その後、魯に帰りますが、当時すでに弟子は沢山いたと思われます。孔子の弟子は最終的に3500人と言われていますから、50才頃でも1000人くらいはいたと推定されます。塾と言うより教団のようなものだった想定されます。

 孔子は、51才で魯の定公に用いられ、中都の長官としての実績が認められて、54才で大司寇(今の総理大臣と法務大臣を兼ねたようなもの)に抜擢され、魯国の大改革を行いますが、失敗します。そのため、55才で職を辞し自分の理想を受け入れてくれる主君を求めて流浪の旅に出ます。以後14年間も数人の弟子とともに亡命の旅を続けます。しかし、理想を実現することの困難さを悟り、68才で魯に帰国し、詩書など古典研究の整理を行うとともに青年教育に余生を捧げました。

 こうしてみると、孔子の人生は失敗の連続です。失敗をもって自分の天命だと普通は言いませんね。何か成功したことがあるはずです。いうまでもなくそれは、沢山の弟子を抱え、徳治主義という理想を教え込み、孔子亡き後、全国に散らばって教えを広げ、ついには儒教の祖として以後の中国と周辺国の歴史に大きな影響を与えたことです。日本もその一つです(江戸時代の朱子学、陽明学)。
 50才の孔子といえば任官の直前で弟子を教えていた頃です。その時に知った「天命」とは、弟子を教えること、そのことによって自分の理想を広くかつ後の世代にまで普遍化することだったと、私は理解します。
 だから、孔子は、68才で帰国して、次第に増えていった弟子達に、70才を超えた頃に、「私の天命はお前達を教えることだ、それを20年も前に私は悟ったのだよ。」と、その間の長い空白の期間に対して、自戒の意味も含めて言ったのだと思います。
 偶然ですが、4月19日から、WOWOWで孔子の波乱に満ちた生涯を、全38話というスケールで始まりますから、関心のある方はご覧ください。

広告