集団的自衛権行使容認の解釈改憲は9条「壊憲」である

[ 弁護士 佐藤真理]

 安倍内閣は、昨年暮れの「秘密保護法」の制定に続き、今、「解釈改憲」の手法により「集団的自衛権の行使」容認に踏み出そうとしています。
 しかし、集団的自衛権の行使が違憲であることは、長年にわたり自民党政権でさえ認めてきたことです。

<自衛権発動の3要件>
 憲法9条を素直に読めば、自衛隊は9条2項の「陸海空軍その他の戦力」に該当し、違憲の存在です。これに対して、従来、自民党政府は、憲法9条は、国家固有の自衛権を否定していないとして、他国からの武力攻撃に対して、国民の生命・財産を守るために、国家固有の自衛権に基づいて、武力攻撃を排除するために必要最小限度の実力を行使することは否定されないとして、そのための実力組織(自衛隊)を保有しても、9条2項の戦力には該当せず、自衛隊は合憲である、と説明してきました。その代わり、専守防衛であり、①わが国に対する急迫不正の侵害があること、②これを排除するために他の適当な手段がないこと、③必要最小限度の実力行使にとどまることの3つが、自衛権発動の3要件とされてきました。
 集団的自衛権は、「自国と密接な関係にある外国に対する武力攻撃を、自国が直接攻撃されていないにもかかわらず、実力をもって阻止する権利」と定義されますが、日本が攻撃されていない以上、上記の①、即ち自衛権発動の第一要件を満たさず、憲法9条のもとでは集団的自衛権の行使はできないと、自衛隊創設以来、60年間にわたって、政府は答弁してきたのです。

<解釈改憲は立憲主義・法治主義に反する>
 ところが、安倍首相は、国会審議において「(集団的自衛権行使は)政府が新しい解釈を明らかにすることによって可能」、「(政府答弁の)最高の責任者は私。その上で、選挙で国民の審判を受ける」などと答弁をし、今国会中にも、集団的自衛権の行使容認の閣議決定に踏み出そうとしています。
 集団的自衛権の行使容認の解釈改憲の動きに対して、今、各界各層から批判の声が広がっています。例えば、元内閣法制局長官の阪田雅俊氏は、「政府による憲法解釈の変更で集団的自衛権の行使が認められるならば、戦争放棄などを記した憲法9条の意味がなくなる。憲法改正は国民投票が必要だが、政府による憲法解釈の変更では国民の出番もない」「憲法だけ明文改正なしに解釈でやれるなら立法府もいらない、法律も解釈で運用すればいいことになり、立憲主義、法治主義の大原則に反する」と厳しく批判しています。
 憲法は国民の権利を保障するために、権力者を縛るものです(立憲主義)が、恒久平和主義を定める憲法は、国民が政府に対して、「戦争をしてはならない。」「軍隊を持ってはならない。」と命じているのです。解釈改憲はこの立憲主義を踏みにじるものです。 法律の改正は、国会の両議院における議決が必要ですが、法律より上位の憲法を憲法96条の改憲手続(衆参両院における3分の2以上の賛成での発議と国民投票での過半数の賛成を要する)に基づかずに、一内閣の判断だけで憲法解釈を変更するというのは、法治主義に反する暴挙と言わざるを得ません。

<限定論はまやかし>
  今、政府や自民党からは、限定容認論ということが盛んに持ち出されています。集団的自衛権の全面容認でなく、「我が国と密接な関係がある国に対して、ある国が攻撃、占領しようとしており、放置すれば日本も侵攻されることが明白な場合」などに限定して集団的自衛権の行使を認めようというのです。
 しかし、どういう場合に「放置すれば日本も侵攻されることが明白」といえるのかは、すべて政府の判断次第であり、容易に拡大していくことになります。「限定」はまやかしです。
 戦力の不保持(正規の軍隊の不保持)、交戦権の否認、集団的自衛権の不行使などは、平和国家としての日本のブランド力を支えてきたものです。今、「憲法9条にノーベル平和賞を」という運動がひろがるなど、憲法9条は世界の宝です。

<今が正念場 学習運動を広げよう>
 これからの1年、とりわけ年内は、解釈による集団的自衛権の行使容認など、「戦争する国」を目指す改憲勢力と、平和憲法を守り、活かす改憲阻止運動の「せめぎ合い」の正念場です。
 限定ならいいのではないか、などと安易に騙されないように、改憲勢力の狙いとこれに対抗する現憲法の意義を繰り返し、深く学習し、広げていきましょう。
 当事務所では、憲法問題の学習会講師をいつでも派遣します。気楽にお申し出下さい。

以上

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