高知日記(続き) -争族

[弁護士 山﨑靖子]

1 79歳(母)は自分たち亡き後を心配しているようだ。子は私と兄(54歳)の2人である。

母は、自称「苦労した長男の嫁」。祖父の相続で父親の兄弟ともめて苦労したらしい。そのためか私に、「全部お兄ちゃんにあげたらいかんよ」と言った。
どういうことかというと、「嫁に行った娘は実家の遺産を相続しないものだが、全部をもらったらその人間はだめになる。だから、自分の教えを受けた娘(=私)は遺産をいらないというはずだけど、そうなれば大事な一人息子(=私の兄)がだめになる。だから、娘は少しだけ相続しなさい。」、ということだった(回りくどくてすみません)。

80歳近くになっても息子はかわいいんだなあと思った。
「放棄するはずないやろ。兄ちゃんと半分わけするき、安心してや。」と返事しておいた。その横で「もらったもんの勝ちや」と父(82歳)は言った。

2 「相続」を「争族」にしないために・・・・・

このフレーズはよく聞きますよね。うまいかけことばです。そのため、「遺言」を勧められることが多いと思いますが、本当に「遺言」があれば「争族」にならないのでしょうか。
弁護士になって18年。多くの遺産相続事件に関わりました。相続人の代理人として、あるいは調停委員として。

あの土地が欲しい、銀行預金が欲しい、あんな山はいらない、親の面倒を見たから多くもらう、兄貴は生前贈与してもらっているじゃないか・・・。
これらが本当に「遺言」があればクリアできるでしょうか?
確かに、遺言があれば、不動産の取り合いとか、預金の取り合いはありません。指定されているように相続するだけのことです。でもそれで「争い」はないのでしょうか?

法律上、子の相続分は平等です。しかし、遺言で分け方を指定すると、どうしても「平等」にはなりません。長男に分けた土地の価値と次男に分けた銀行預金が同額でしょうか?長男には墓の管理(祭祀の承継)をしてもらうから、多めに相続させる、という気持ちであったとしても子らが納得するでしょうか?差をつけられて、子らがその後も仲良くつきあいできるでしょうか。
また、子であれば遺留分もあります。

立つ鳥跡を濁さずとも言います。遺言を書く時は、死後の人間関係も考えましょう。

なお、子がいない方については、「遺言」があった方が良いと思います。配偶者と自分の兄弟姉妹(あるいはその子)が相続人となるケースが多く、縁が非常に薄い人間同士が相続するので、もめます。「世話をしてくれた姪にあげたい」とか、「妻に全部」とかの遺言があれば、もめません。

遺言や相続についてのご心配があればお早めにご相談ください。

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帰省  -高知日記

[弁護士 山﨑靖子]

お盆も終わりましたね。皆さまはいかが過ごされましたか?
さて私は、高知の実家に1人で帰省してきました。
実家には両親だけが住んでいます。父は82歳、母は79歳。どちらも介護認定を受けていないくらい元気ですが、なんと言っても80歳前後の老夫婦。いつ何時なにがあっても不思議はないので、時々様子を見に帰っています。

・・・・・高知日記・・・・・

 高知は雨続き。湿気が多く、エアコンなしではつらい。親はエアコンを切ろうとせず、経口補水液オーエスワンを箱買いして飲んでいた。「オーエスワン」はポカリスエットを薄めたような味で、それほどおいしいものではないことを確認。

親の様子を見るための帰省といっても特にすることがないので、近所のバッティングセンターに行く。大和郡山にある森本バッティングセンターは野球のユニフォームを着た本気の人がごろごろいるのでバットを振る勇気はないが、実家の近所のバッティングセンターはハイヒールの女子もいるくらい緩い雰囲気。意外にあたるのがうれしい。

夜は友人と宴会。40年のつきあいの友人らで、帰省するたびに会ってくれるのはありがたい。話のネタは、老後の生活(引退の時期)や親の介護。みんな老眼が進んでいて、自分だけじゃないんだと安心。老眼鏡ネタで盛り上がる。

さらにすることがないので、自宅ではしない甲子園のテレビ観戦をする。ちょうど高知代表と奈良代表の試合。高知は土砂降りだが、甲子園は快晴らしい。高知の代表が快勝。出身校ではないが、高知が勝ったことはやっぱりうれしい。

ところで「親の家の片付け」。全然進まない。こういうのは徐々にしようとしても無理なので、その時になってから一気にやろうと思う。

帰省ついでに義理の伯母(私の母親の兄の妻。85歳くらい)に会いに行く。「生きているうちに●●さん(=私の母親)に会いたいねえ」としみじみ言われた。ひ孫に囲まれて元気に暮らしているんだけどなあ。

・・・・・という感じでゆるゆると2日間過ごしました。

戦争と両親のこと

[弁護士 佐藤真理]

母の死去から3年6か月余。ふっと母のことを思い出し、いいしれぬ寂しさを覚えることがある。
昨年12月に卒寿を迎え、九州大分で一人暮らしをしている父のことが心配でならない。つい2、3年前までは、毎朝、散歩を欠かさなかったのに、膝が急速に悪化し、外での散歩は無理となった。今年の2月頃、転んで肋骨を骨折し、2ヶ月間、コルセットを着用していた。これを機に、介護保険等級が上がり、ヘルパーさんの訪問回数が増えたのはありがたい。
膝、足以外は、ほとんど体に問題なく、公民館での囲碁に週2回通っている。外での散歩は無理だが、今も、毎日、杖をつきながら、廊下の散歩(3000歩)を続けている。この頑張りには敬服する。
妹と交代で帰省するが、その回数が少しずつ増えている。栄養価の高い食事を一緒にし、映画のDVDを持ち帰り、一緒に見ている。孫たちの成長が楽しみのようである。いつまで親孝行ができるだろうか。

まもなく終戦の日を迎えるが、母からは、1945年7月16日夜半から17日未明にかけての大分空襲で焼夷弾により家を焼失し、逃げまどったという話を何度か聞いた(当時、母は20歳だった)。遠い縁戚を頼って借家住まいをした家主の息子が父で、後年、結婚することになった。
大分空襲の頃、父は、兵役で仙台におり、米軍が上陸してきたら、戦車に爆弾を抱えて体当たりするための「たこつぼ」堀りをさせられていたという。終戦時に父は21歳だったが、特攻戦死者の内20歳以下の者が陸軍23・5%、海軍43%を占めていたといわれる。
多くの若者の命と未来を奪ったとんでもない時代であった。戦前を美化し、戦争する国を目指す安倍内閣を早期退陣に追い込むために頑張りたい。
(2014年8月11日)

カテゴリー: sato

塞翁が馬

[弁護士 北岡秀晃]

高速道路のETC.をご利用の方はご存知のとおり、通過する車両を減速させるためにゲートを開けるタイミングが遅くなっています。なかなか開かないなと不安になったときにようやく開くというのが通常ですが、この日はとうとう開きませんでした。
ゲートに衝突するぎりぎりのところで私の車は停止し、係の方が出てこられました。ETCカードが車載器にセットされていることは確認していたので、「えっ?」「なぜ?」と思っていたら、カードが期限切れになっていました。後続のドライバーに申し訳ない思いで、現金で料金を支払い、ゲートを通過しました。

なんでカードが期限切れになっていたのだろう、なんでカード会社から新しいカードが送られてこなかったのだろうなどなど。動揺し、いろいろ考えながら、そのまま第二阪奈を進み、トンネルに入りました。走行車線(左側の車線)を走っていたら、追越し車線(右側の車線)の前方に何か異物があります。「何かな?」と思って見ると、車線の中央に脚立が「ハ」の字型に広がって置かれているように落ちています。「ゲ!」と思った瞬間、追越し車線を走行していた車がノーブレーキのまま脚立に衝突しました。怪我はなかったと思いますが、バシッという大きな音がして、車は前面がかなり損傷したと思いますし、ちぎれた脚立の足が私の走行する車線の前方に飛んできました。幸い私の車は無事でしたが、大変恐ろしい思いをしました。おそらくは直前に通り過ぎた車からの落下物と思われますが、ひどい話です。

もしもETCカードの期限が切れていなかったら、私は快調なペースでゲートを通り過ぎ、トンネル内も追越し車線を飛ばしていたかもしれません。もしそうなら、私の車が脚立に当たっていたと思われます。
ちなみに、新しいETCカードはカード会社から郵送されていましたが、私の奥さんが間違って取り込んでいました。まさに塞翁が馬。内助の功(?)。つい先日の話です。