「風に立つライオン」の周辺の人々

〔弁護士 山﨑靖子〕 

「風に立つライオン」は、原作さだまさし、主演大沢たかおの映画。日本人医師・航一郎(大沢たかお)の奮戦記ですが、映画ではなく、「風に立つライオン」公開記念スペシャル!~命のバトンをツナグ人々の物語~」を見ました。

 この番組そのものは映画の紹介というより、映画のモデルになった人や、そのほかの「命のバトンをツナグ人々」を紹介するドキュメンタリーのような作りでした。
 登場する人の中に、菊本照子さんという日本人女性がいます。彼女は日本で教師をしていたところ35歳でケニアに渡り、1987年にケニアの首都ナイロビの郊外に「マトマイニ・チルドレンズ・ホーム」を設立しました。映画の撮影にもこのホームは使われたそうです。
 
 菊本さんは文字通り「私財をなげうって」ホームを経営しています。自分の生活費は日本からの年金で、ホームの経営はわずかな寄付と野菜などの売上げでまかなっています。

 さてここからが本題。この「わずかな寄付」のわずかな一部が我が家の寄付金です。私と夫は30年前にナイロビで知り合ったのですが、その時に菊本さんとも知り合いました。ホーム設立までの苦労話も知っています。ですので、ホームには毎月ず~~~っと寄付し続けています。継続は力なり。わずかな寄付でも積もれば山となっている・・・はず

 数年前に菊本さんに会った時、継続的に寄付してくれる人が●人で・・・・という話が出て、私と夫が想像していた数と桁が少なくて仰天しました。
 一時的に寄付してくれるのもありがたいけど、継続する支援者を募るのは容易なことではありません。

 ホームにいる子のほとんどは親に遺棄された子です。子どもたちはマトマイニを家として育って自立していきますが。それにはお金がかかります。もしご興味がおありの方はよろしくお願いします。

 ホームの紹介はこちら⇒www.geocities.jp/scckenya/index.html
 菊本さんのブログはこちら⇒ameblo.jp/scckenya/entrylist.html

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新幹線と旅情

〔弁護士 北岡秀晃〕

2015.3.16 北岡 写真12015.3.16 北岡 写真2

 北陸新幹線が開業し、W7系という新型車両が走り出した3月14日、JRのダイヤ改正により、ブルートレインが約60年の歴史に幕を下ろすことになりました。3月14日、最後の寝台特急「北斗星」が、上野、札幌両駅に到着して、役目を終えました。大阪と札幌を結んだトワイライトエキスプレスも、同じ日に姿を消しました。

 思い起こせば、大学生の夏、友達と北海道ワイド周遊券をもって北海道を20日間旅したことがありました。ユースホステルを利用した貧乏旅で、当時のユースホステルは飲酒禁止でしたから、今では酒びたりの私には考えられない旅行です。若い頃は飲まなくても平気だったんですね。

 あのとき、大阪から乗った列車は日本海に沿って走る特急「白鳥」でした。もちろん国鉄(日本国有鉄道)の時代です。青函連絡船に乗り換え、北海道の地へ。その後、何度も北海道へ行くことがありましたが、飛行機を利用しなかったのはこのときだけです。朝大阪を出て、夜中に青森に着いて、連絡船に乗り換え。長かったけれど、車窓から見る風景、駅弁、車内で飲むビール(やっぱり飲んでました。)など味わいがありました。この特急「白鳥」も、既に2001年3月のダイヤ改正で姿を消したそうです。

 新しい新幹線がスタートし、スピードアップする一方で、昔乗った急行など夜行列車は姿を消し、北陸新幹線に併行する在来線は第3セクターに移行するといいます。地元の人たちの生活の足は、今後もきちんと確保されるのでしょうか。
 昔には戻れませんが、やはり「国鉄」が良かったなあ。

政府のNHKではなく、視聴者・市民のNHKへ

〔弁護士 佐藤真理〕

「NHK問題を考える奈良の会」の発足
 「NHK問題を考える奈良の会」が発足し、請われて代表に就任しました。今月10日開催の発足の集いには、寒さの中、100名を超える参加者があり、元NHK大阪報道部記者だった小山帥人氏が「政府のNHKではなく、視聴者・市民のNHKへ」と題して記念講演をされました。

NHKの戦争協力と戦後の放送法体制
 NHKは1926年(昭和元年)に発足しましたが、1942年2月、情報局(内閣直属の情報機関)は「戦争下の国内放送の基本方針」を定め、「宣戦の大詔に基き皇国の理想を宣揚し国是を闡明(せんめい)する国民の挙国的決意を鞏固ならしむ」との基本方針のもと、「放送の全機能を挙げて大東亜戦争完遂を驀進(ばくしん)す」との目的のため、戦争遂行機関とされました。
 戦後、放送法体制のもと、番組編成基準として、「政治的に公平であること」、「報道は事実をまげないですること」、「意見が対立している問題については、できるだけ多くの観点から論点を明らかにすること」などが謳われることになったのは、戦中の反省によるものです。

政府追随の籾井会長発言
ところが、昨年1月にNHK会長に就任した籾井勝人氏は、就任会見で「政府が右というものを左というわけにはいかない」と発言して、大変な批判を浴びましたが、最近でも、従軍慰安婦問題について「政府の正式なスタンスというのが見えないので、放送するのが妥当かどうかは慎重に考えないといけない」などと発言しています。政府や権力の監視機関というメディアの本質についての認識が全くなく、公共放送は政府の広報機関であるのが当然との認識に立つ籾井氏には、即刻辞任してもらうしかありません。 小山氏は、講演の中で、市民からNHKへのアクセスの強化(抗議・批判と激励)と会長公選制などの制度改革を求める運動の重要性を強調されました。

戦争法制と9条改憲を目指す安倍内閣の暴走
 安倍内閣は、昨年7月1日の閣議決定で、長年、憲法上許されないとしてきた集団的自衛権の行使容認に踏み切り、今通常国会で(6月24日までの会期を延長してでも)、同閣議決定を具体化する十数本の安保法制(軍事法制)を数の力で一気に可決成立させることを狙っています。万一、それを許すと、日本は、外国からの武力攻撃を受けていないにもかかわらず、アメリカの戦争に参戦し、日本の自衛隊員が他国兵士を「殺し、殺される」事態を招くことになります。非軍事・非暴力の憲法9条は死文化し、近い将来に、9条の明文改悪を実現しようとしているのです。

敗戦直後の朝日新聞社説「自らを罰するの弁」
 太平洋戦争中、戦果を報じる大本営発表は846回ありましたが、ラジオはこれを垂れ流し、新聞は大政翼賛会の発表のままに戦争賛美の論説を書き続けて、国民に多大の犠牲を強いる先導役を果たしました。日本のメディアと言論人の多くは、戦前・戦中に侵略戦争の片棒をかつぐ政府広報機関の役割を担わされたことに痛切な反省をしています。たとえば、朝日新聞は、1945年8月23日に、「自らを罰するの弁」を社説に掲げ、「言論機関の責任は極めて重い。『己れを罰する』の覚悟は十分に決めている。」と反省の弁を述べています。戦後のメディアと言論人は、2度と同じ過ちを犯さず、権力監視と民主主義の前進のために尽力することを誓って再出発したのです。

マスコミ各社幹部と安倍首相のたび重なる会食
 ところが、今のマスコミは、権力監視の役割を忘れ、政府の広報機関に堕しつつあるのではないでしょうか。特定秘密保護法の問題、集団的自衛権の問題など、広範な国民の反対運動の中でも、サンケイや読売は「推進」の論陣を張り、朝日と毎日は「反対」と二分化が鮮明です。
 ところが、その朝日、毎日を含め、マスコミ各社の社長、政治部長、編集部長ら幹部が、安倍首相と高級料理店での会食を重ねているのです。高級料亭で、2時間も3時間も接待を受け、何を話し合っているのでしょうか。

マスコミの活動監視のための粘り強い運動を
 マスコミを政府の広報機関から、主権者国民の権利擁護の機関に変えていくために、マスコミを監視していく運動を粘り強く、続けていくことが重要だと思います。安倍内閣の施策への提灯報道を批判し、抗議していく運動と共に、籾井会長が辞任しない限り、受信料の支払いを止める運動、首相とマスコミ幹部の会食を批判し続ける運動など多種多様な取り組みが大事です。同時に、すぐれた報道には、大いに評価し、激励していくことが重要で、報道関係者と市民との連携を追求していくことが必要と思います。

(2015年3月12日)

カテゴリー: sato

弁護士の出張事情

〔弁護士 冨島淳〕

 2015年に入って初めての私のブログ更新ですが、もう3月ですね。

 少し前の話になりますが、1月に名古屋へ出張する機会がありました。私は愛知県に実家があるので、実家にも寄って少しだけゆっくりすることができました。その土地の美味しいものを食べたりすることもできますし、私は出張が好きです。

 弁護士は、訴訟になると、その事件の管轄のある裁判所において裁判をしなければならないため、その管轄がある裁判所まで出向かなければなりません。弁護士によっては、訴訟のために全国あっちこっちに行かなければならないわけです。私の場合はそこまで遠くの事件は多くありませんが、例えば離婚調停などは相手方の住所地で起こさなければならないため、そのような事件を受任して遠方の裁判所まで行くこともあります。

 移動に時間を取られるという意味では、遠方の裁判所に行くのは大変ですが、そのような移動も楽しみながら仕事ができるといいなと思います。