69年前の予言

〔弁護士 藤澤頼人〕

 今年は戦後70年に当たります。そして、今の憲法が公布されて69年になります。

 皆さんは、一度は憲法の前文をお読みになったことがあるのではないでしょうか。憲法前文は、憲法の理念、国民が何のために憲法を制定したかということが格調高く書かれています。是非今このときにこそ、今一度お読み頂きたいと思います。

 ところで前文には次の様な一節があります。
「政府の行為によつて再び戦争の惨禍が起ることのないやうにすることを決意し、ここに主権が国民に存することを宣言し、この憲法を確定する。」

 憲法が公布されたのは昭和21年11月3日のことですから、まだあの敗戦から1年余りしか経っていない時期でした。多くの国民が、傷つき、命を失い、国土の多くが灰燼に帰して復興もままならず、いまだ国外で明日をも知れぬ抑留生活を送っている日本人も多く、サンフランシスコ平和条約の締結前で日本が主権国家にもなっていなかった時代です。おそらく、ほとんど全ての国民は、もう戦争はこりごりだ、どんなことがあっても戦争などしない、と固く思っていたでしょう。であれば、「政府の行為によつて再び戦争の惨禍が起ることのないやうに」などという言葉を入れる必要もなく、当然に新憲法のもとでは戦争など起こるはずがないという国民の意思の一致があったと思われます。

 しかし、憲法前文には「政府の行為によつて再び戦争の惨禍が起ることのないやうに」との言葉が入りました。これは、いつか国民の戦争の記憶が薄れたころ、政府が平和への志を投げ捨て、国民を欺いて戦争へ舵取りをするのではないか、との意識がはたらいたことによるのではないでしょうか。まるで未来予測、いや、予言のようです。

 そして、いま、まさに、政府は、国民の危機感をあおり立て、平和の名を騙って戦争へと舵取りをしています。 予言が現実のものとなってしまいました。

 しかし、国民が、「政府の行為によつて再び戦争の惨禍が起ることのないやうにすることを決意し」たことを今一度思い起こし、政府こそが平和の敵となったことを理解し、憲法の理念を貫けば、国民のが戦後一貫して守り続けた平和国家の姿を取り戻せると確信しています。

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風に立つライオンの周辺のひとびと(続き)

〔弁護士 山﨑靖子〕

 さて、前回のブログで、ケニアのナイロビで「マトマイニ・チルドレンズ・ホーム」を設立した菊本照子さんを紹介しましたが、先月一時帰国して、京都で帰国報告会のような会合があったので、行ってきました。

 会合の目的は、ホームで作っているフェルト人形の展示即売会です。
 ホームでは、フェルト人形を手作りし、販売しています。汚れた羊毛を仕入れて、洗って、加工し、人形にしていきます。全行程、手作業。通いの女性たちが作っています。

 観光地のお土産物というと、「名物にうまいものなし」と言われるように、質が悪かったり、雑だったり・・、と思われるかもしれませんが、マトマイニのフェルト人形は違います。ナイロビにセレナホテルという高級ホテルがあるのですが、そこの土産物店でも売っており、大好評とのこと。

 スラムの女性たちが貧しい孤児院で作っているアフリカのおみやげ・・・というイメージですが、それでは一時の寄付は募れても長続きしません。質の良い商品を作らなければすぐ飽きられます。どんなに有名なミュージアムもショップが充実していないと来館者が増えない時代です。質の高い商品を自力で作って、売って、自立する。ここに至るまで大変だったようですが、マトマイニは、これからも、もっともっと良い商品を作ってくれると思います。

 ご興味のある方はこちら⇒http://ameblo.jp/scckenya/theme-10008113230.html

 (追記:菊本照子さんと一緒に末っ子が京都に来ていました。30年前はおむつもとれていなかった幼児がこんなに大きくなって・・・というより、当時の私は彼女より若かったんだなあ、と老いを実感しました。)

2015.6.8 山﨑 写真1