「絶望」の裁判所

[弁護士 吉 田 恒 俊]

今年の残暑見舞いで、わたしは、”元裁判官の『絶望の裁判所』という本があります。最近私も、誰もが執行猶予だという被告人が実刑にされて「絶望」しました。”と書きました。この件は、去年3月の弁護士ブログでも「これでいいのか刑事裁判」と題して触れました。この不当に執行猶予を受けられなかった事件は、その後最高裁でも三下り半の決定で確定し、いよいよ9月初めに収監されることになりました。
70歳を超えた高齢の女性に1年あまりの懲役はきついと思います。前科は40年前の詐欺等1件だけ(それも執行猶予がついていた。)、全額弁済の供託をし、見守り役の娘さんと2人暮らし、しかも事業を経営しているというのですから、偏見がなければ、絶対に執行猶予が付くケースと考えられます。

「わが国の刑事裁判はかなり絶望的である」とは、1985年に、刑事法の大家だった平野龍一・元東大学長の言葉であります。80年代には免田事件や財田川事件、松山事件、島田事件と、死刑再審が相次いで、いずれも無罪となりました。

最近、この言葉が再び刑事裁判に投げかけられています。2010年の足利事件、2011年の布川事件、2012年の東電女性社員殺害事件、そして今年の東住吉放火事件と毎年のように再審無罪の判決が出ています。いずれも無期懲役が確定した人に再審が開始され、無罪の判決が確定しています。状況はやはり、かなり絶望的であります。なぜなら、これらの事件は氷山の一角で、その底辺には膨大なこれに類する絶望的裁判が横行していると考えられるからです。

私の経験した事件は、300万円で売った土地の横領事件で、判決も「懲役1年2月」という小さな事件ですが、裁判官が検察官の顔色を窺い、起訴されたら有罪という偏見を持っている点は何ら改善されていないところは、上記再審事件と同じです。

『絶望の裁判所』を書かれたのは元判事で現在明治大学法科大学院教授の瀬木比呂志氏です。彼がここで言っていることは刑事裁判よりも民事裁判についてですから、もっと深刻です。圧倒的に民事裁判が多いわたしも納得できるところが多いので、病弊は刑事裁判に止まらないと言えます。瀬木氏は、最高裁事務総局の支配と統制に触れ、その支配の下にある裁判官たちについて、「檻」の中の裁判官=精神的「収容所群島」の囚人たち、とまで呼んでいます。裁判の独立はどこへ行ったのでしょうか。

わたしはまだ民事裁判のすべてに絶望してはいませんが、何人かのひどい裁判官に当たって苦労したことがあります。その上、上記の刑事裁判を経験したことから、「絶望」にカッコを付けて裁判一般への警鐘としたものです。本当に裁判に絶望したら弁護士はやっておれないですから。

何事にも例外はあります。わたしは刑事でも民事でも立派な判決をする裁判官がおられることを否定しません。瀬木氏の本を読んで反発される裁判官も納得される裁判官もおられることと思います。要は個人を超えた制度の問題が大きいのです。

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