塞翁が馬

[弁護士 北岡秀晃]

高速道路のETC.をご利用の方はご存知のとおり、通過する車両を減速させるためにゲートを開けるタイミングが遅くなっています。なかなか開かないなと不安になったときにようやく開くというのが通常ですが、この日はとうとう開きませんでした。
ゲートに衝突するぎりぎりのところで私の車は停止し、係の方が出てこられました。ETCカードが車載器にセットされていることは確認していたので、「えっ?」「なぜ?」と思っていたら、カードが期限切れになっていました。後続のドライバーに申し訳ない思いで、現金で料金を支払い、ゲートを通過しました。

なんでカードが期限切れになっていたのだろう、なんでカード会社から新しいカードが送られてこなかったのだろうなどなど。動揺し、いろいろ考えながら、そのまま第二阪奈を進み、トンネルに入りました。走行車線(左側の車線)を走っていたら、追越し車線(右側の車線)の前方に何か異物があります。「何かな?」と思って見ると、車線の中央に脚立が「ハ」の字型に広がって置かれているように落ちています。「ゲ!」と思った瞬間、追越し車線を走行していた車がノーブレーキのまま脚立に衝突しました。怪我はなかったと思いますが、バシッという大きな音がして、車は前面がかなり損傷したと思いますし、ちぎれた脚立の足が私の走行する車線の前方に飛んできました。幸い私の車は無事でしたが、大変恐ろしい思いをしました。おそらくは直前に通り過ぎた車からの落下物と思われますが、ひどい話です。

もしもETCカードの期限が切れていなかったら、私は快調なペースでゲートを通り過ぎ、トンネル内も追越し車線を飛ばしていたかもしれません。もしそうなら、私の車が脚立に当たっていたと思われます。
ちなみに、新しいETCカードはカード会社から郵送されていましたが、私の奥さんが間違って取り込んでいました。まさに塞翁が馬。内助の功(?)。つい先日の話です。

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愛国心と誇り

[弁護士 北岡秀晃]

 安倍晋三首相は、欧米諸国との関係の深さを示すフレーズとして、「自由と民主主義、法の支配という価値を共有する」という言葉を多用します。このような価値を共有しない国の存在、中国等を念頭に置いたものと思われますが、果たして安倍政権が君臨する日本には、「民主主義」や「法の支配」はあるのでしょうか。
 安倍内閣は、従来の自民党政権が守り続けてきた憲法の解釈を変えることで集団的自衛権の行使を容認しようとしています。しかし、憲法は、国家権力を縛るものであり、だからこそ最高法規とされています。政権が、勝手に解釈を変えて、都合のいいようにすることが許されるなら、国家権力を縛る憲法はないに等しく、法の支配もありません。

 憲法は、主権者である国民によって制定されたものであり、その改変は国民投票によるという改正規定が定められています。しかし、一内閣の閣議決定で「解釈改憲」がなされるならば、日本には民主主義すらないと言わざるを得ません。

 他方で、安倍首相は、「愛国心」を訴えています。しかし、憲法が何のためにあるかを理解しない政治家が治める国に誇りは持てません。集団的自衛権を認めたいのであれば、きちんと憲法改正の手続を踏むべきであり、これを行わず、姑息にも解釈を変えることで憲法を変えてしまうことがまかり通る国は、「法の支配」が存在する国ではありません。こんな国の国民であることが恥ずかしい限りです。
 解釈改憲を許してはなりません。

健康診断 2014

[弁護士北岡秀晃]

 私の最初のブログは、「健康診断での出来事」というタイトルの厳しい看護師から不摂生を非難された記事でした。「自分の体じゃ、ほっといてくれ」と言いたくなったというお話です。早いものであれから約1年、今年も健康診断の時期がやってきました。

 今回の健康診断でも、最初に看護師の問診がありました。顔はよく覚えていませんでしたが雰囲気と口調から、昨年と同じ看護師さんだとわかりました。
 問診は、まず「去年は胃透視で精密検査を指摘されたんでしたよね。」という一言から始まりました。弁護士が行う反対尋問のような口調です。一瞬、去年だったかな、一昨年だったかなと頭がボヤーとしました。続いて「検査は受けましたか」という厳しい質問が飛んできます。ここで「いやー、検査してません。」などと答えたら、去年と同じで、さらに厳しく注意されたものと思われます。
 ところが、幸いなことに、私は、去年の健康診断の後、胃カメラ検査をして、ピロリ菌の除菌をしました。そのことを告げると、看護師さんの厳しい雰囲気は一変しました。急に優しくなり、採血のときも「痛くないですか。」と気遣ってくれます。そして、「週に2回以上30分程度の運動もしてますね。」などと上機嫌でうなずき、今年の問診が終わりました。

 やはり、改善の姿勢を示すこと、更生の努力をすることが大事だなと実感しました。それとともに、看護師さんの熱意(?)にも感心した次第です。

高見山の霧氷

[弁護士 北岡秀晃]
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 バレンタインの大雪が降った直後の日曜日、高見山の樹氷を見に行ってきました。
 高見山は、奈良県と三重県との県境、台高山脈の北端に位置する山で、標高は1248メートル。その形から近畿のマッターホルンとも呼ばれ、冬に霧氷が見ることができる山として知られています。

 この時期、近鉄榛原駅から高見山登山口まで奈良交通の臨時バス「霧氷バス」が運行しています。登山口から頂上まで、通常なら約2時間。この日は雪が多いばかりか、登山者もすこぶる多く、渋滞してマイペースで歩くことができません。頂上が近づくにつれて長蛇の列ができあがり、しばらく動かない状況になることには閉口しました。
 それでも天候には恵まれ、日が差すと、霧氷が輝きます。霧氷というのは、気温-5度以下の環境で風の弱いときに顕著に発達するそうですが、風は強く、風上側に向かって成長しています。「海老の尻尾」と言われるものです。寒くて、頂上付近は満員で人があふれる状況でしたが、霧氷は最高に美しいと思いました。
もうひとつ閉口したのはトイレ。寒いのでトイレに行きたくなりますが、もちろん山の上にトイレなどありません。やむをえず、そのへんでと思っても、長蛇の列が続いており、人の目がいっぱい。閉口しました。
 考えてみると、女性の方々はもっと大変ですよね。やはり女性には勝てません。

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オルフェーヴルによせて

[弁護士 北岡秀晃]

 東日本大震災があった2011年の三冠馬で、2年連続してフランス凱旋門賞で2着となった競走馬オルフェーヴルが、この冬、引退しました。最後のレースとなった有馬記念は、8馬身差を付ける大差で圧勝。鮮烈な印象を残してターフを去りました。

 賭け事には全く縁がない私ですが、意外なことに、競馬には中学校のころから関心がありました。ハイセイコーという地方競馬出身の馬が一世を風靡した年の翌年、その年の二冠馬となったキタノカチドキが最初に知った馬でした。当時のテレビの競馬中継には、志摩直人や寺山修司といった詩人が登場し、競走馬にまつわるドラマや悲話を詩的に語っていたことが印象的でした。「風はその背にたてがみに」などという詩集もありました。のめりこんだ私は、日本や世界の名馬のことを書いた本や、血統などを研究した「サラブレッドの研究」という本を買ってもらって読んでいた記憶があります。

 当時は海外遠征する競走馬はほとんどなく、凱旋門賞を勝つ日本の競走馬が出てくることは夢のまた夢でした。あれから30年近く、オルフェーヴルは、1度目の凱旋門賞挑戦のとき、一瞬、レースを見るものすべてに「勝った!」と思わせました。が、その後ゴール直前で失速し、2着に終わりました。しかし、日本の馬が近い時期に凱旋門賞を勝つと予感させるレースでした。
 新しい年が希望に満ちた年になりますように。

飛天 1300年を超えて

2013.11.11s 北岡[弁護士 北岡秀晃]

 例によって薬師寺に写経に行きました。薬師寺では写経に行くと、金堂などの白鳳伽藍、玄奘三蔵院伽藍の写経者用無料拝観券がいただけます。そして、その拝観券を示したときには、「お写経ありがとうございました。」と声をかけていただけます。
 現在、薬師寺では、国宝である東塔の大修理が行われていますが、その東塔の創建当時から塔頂に祀られていた水煙が取り外されて展示されており、ごく間近で見ることができます。

 水煙には、24人の飛天が笛を吹いたり、天を飛んだりする姿が透かし彫りで表現されています。東塔の創建は7世紀末から8世紀の初めとされますので、いまから1300年も前に作られたものということになります。まさに1300年、風雨に耐えてきた飛天を見ると、非常に尊いものを感じます。30メートル以上も高いところに取り付けられた相輪、さらにその更に上に祀られたのが水煙です。尊い塔が火災にあわないようにという願いが込められているそうですが、ディテールまで細かく作られており、昔の人たちの思いの深さ、技術のすばらしさにも感動します。
 写真は、24人の飛天のうちの1人、横笛を吹く飛天です(少し暗くて見にくいかも知れませんが。)

 薬師寺の東塔水煙降臨展は11月30日までです。案内によると、「水煙が地上に降りるのは昭和25年~27年の修理以来、61年ぶりで、透かし彫りの飛天たちが舞い飛ぶ姿を間近で見ることができる貴重な機会です。」とのこと。是非この機会を逃さず、間近でご覧下さい。

海軍兵学校へ(その2)

[弁護士 北岡秀晃]

2013.10.21 北岡

 旧海軍兵学校には、赤レンガの旧生徒館のほか、大正時代に立てられた大講堂(写真)など歴史的な建造物があり、今も使用されています。
 見学コースで最も時間をかけるのが、「教育参考館」です。教育参考館には、勝海舟の書にはじまり、海軍大将などの遺品や書などの資料が展示され説明がなされています。日露戦争の旅順港閉塞作戦で戦死した広瀬武夫中佐の資料や、真珠湾攻撃などに出撃し一隻も戻って来なかった特殊潜航艇の乗組員の資料などもあります。靖国神社の遊就館であれば、「軍神」としてあがめられている英雄たちですが、さすがに教育参考館では「軍神」という表示はありません。

 最も心を打つのは、展示されている特攻隊として出撃した若者たちの遺書です。一つ一つ読んでいると、あっという間に集合時間が来てしまいます。
旧生徒館の赤レンガは、当時非常に高価なものであったとのことで、120年が経過した今でも、触るとレンガの表面がつるつるです。貧しかった時代に、大きな費用をかけて国(海軍)をになう「人づくり」に力がそそがれたことがうかがえます。しかし、その挙げ句、特攻という人の命をあまりにも軽んじた攻撃がなされ、多くの人たちが死んでいったことは、痛切な皮肉と言わざるを得ません。それが戦争の本質なのでしょう。

 江田島の旧海軍兵学校には、年間約7万人の見学者が訪れるそうです。一度行かれてみてはいかがでしょう。