<地球生命体の話 中> 宇宙は1400億年、地球生命はあと1万年?

[弁護士 吉田 恒俊]

前回、宇宙はあと1400億年は続くと申し上げました。ご承知のとおり、最新の宇宙科学によれば、この宇宙は147億年前にビッグバンから生まれ、約46億年前地球が誕生し、生命は、地球の誕生から6億年後の40億年前誕生しました。人類はおよそ800万~500万年前に現れ、現生人類ホモ・サピエンスは約25万年前に現れて現在に至っています。

この間、地球と生命体は様々な危険にさらされてきました。
例えば、①「ポールシフト」という地磁気の逆転です。逆転の境目の地磁気の存在しない状態では生物に有害な太陽風や電磁波、放射線などが地球に直接降り注ぐことになります。例えるなら、地球全体を電子レンジにかけるようなものです。人類は生き残ることはできないでしょう。地磁気逆転は数十万年ごとに起こることは地質学で明らかにされています。

さらに、②最近土星の気温が一気に84℃まで上昇したというのです。科学者たちは重力崩壊により土星内部で核反応が起きていて、近い将来大爆発を起こす可能性があると考えています。その影響でバランスを失った月が地球に衝突、または宇宙へ飛び去ってしまうと、地球の環境は大きく変化し、生物の大量絶滅を引き起こします。人類も例外ではないはずです。

その他、③米の巨大火山「イエローストーン」の噴火、④小惑星の衝突(既に国際スペースガード財団が設立され、日本も含め各国が小惑星の軌道を監視しています。)などが指摘されています。

その他、⑤新人類による侵略(現生人類がネアンデルタール人など他の人類を滅ぼしたように、新人類が発生すれば、現生人類は生存競争に敗れて滅ぼされる。)や⑥氷河期の到来(地球は今から約22億年前、約7億年前、約6億年前の少なくとも3度、全凍結したと考えられている。地球の全域が凍り「氷の惑星」と化してしまう。)、又は⑦遺伝子コピーミス(将来的には、完全にY染色体がなくなってしまうのではないかといわれています。)など、真面目に議論されています。

以上のいずれも、数百年ないし数万年単位の現象で、今日明日の問題ではないし、ほとんど人類の能力の限界を超えた問題です。しかし、100年単位で人類の滅亡をもたらす事態が懸念されるものがいくつもあります。

例えば、⑧スーパーウイルス(ヒトの免疫系を完全に回避できるインフルエンザが作られたところ、封じ込めに失敗し漏出。エイズよりずっと重い病気を引き起こすことになります。)、⑨コンピューターの暴走(囲碁のように人工知能が人類の知能を上回るとどうなるか、人類にはその先に待ち構えるものが全く分からない。飛躍的な進化した高い知能と自我を持った人工知能が、人類を絶滅に追い込むかもしれない。)、⑩大規模なシステム崩壊(世界規模での経済システムもしくは社会システムの崩壊。リーマンショックの何倍もの経済危機が想像される。)、又は⑪ガンマ線バースト(地球大気のオゾン層の約半分がなくなり、太陽からの紫外線が地上や海・湖沼の表面近くに生息する生命の大半を死滅させ、食物連鎖も破壊される。)など、人類の科学の発展が逆に滅亡の原因となるものが指摘されています。

これに⑫核兵器と原発そして⑬環境破壊がのしかかってきます。人類は四面楚歌の状態にあると言えるでしょう。高度に発達した生命体の行き着くところはどこか、次回は宇宙的規模からその話をしたいと思います。最終回をご期待下さい。
2018/10/08

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<地球生命体の話 上> 宇宙は1400億年、地球生命はあと5億年?

[弁護士 吉田 恒俊]

ご存じですか?この宇宙が膨張を加速しています。だから、いつか風船が割れるように宇宙がばらばらに引き裂かれる日が来るに違いありません。その日は「ビッグリップ」と呼ばれて、宇宙最後の日であります。先日(9/26)、日米の研究チームがハワイ島のすばる望遠鏡を使った観測成果として、ビッグリップは1400億年先の話と発表したのです。私は、そんなに長く宇宙は安泰なんだと一瞬ホッとしました。ところがみなさん、地球の命はもっと短いらしいです。

地球は太陽のお陰で今の生命体を維持していますが、今から46億年後には太陽が寿命を迎えて膨張して、地球が丸焦げになって飲み込まれるか、今より大きな公転周期をとるかのどちらかになるそうです。しかし、実際はそれよりもずっと前の10億年後には、地球上の生命圏が終わりを迎えるんだそうです。

なぜかと言うと、太陽が今後光量を上げ続けて、遅くとも10億年後には海水が全て蒸発するか、蒸発しなくても5~7億年後には海水がマントルに吸収されて海は消滅してしまうからです。だから、天文学的には、地球生命の寿命は控えめに見てこれから5億年というところでしょうか。当然、水がなければ生命を維持することはできないので、地球上の生命は5億年後には終わりを迎えるということです。

何だ、5億年も先のことか、と安心しないで下さい。確かに、現生人類が誕生して25万年、そして人類の歴史が始まって約3000年ですから、5億年は途方もなく長い先のことです。しかし、だからといって我々は5億年安心して暮らせる、と思ったあなた、実はそうはうまく行かないのです。そのわけは次回に。
2018/10/02

§米英仏軍のシリア攻撃の危険性

[ 弁護士 吉田 恒俊]

シリアの首都ダマスカス近郊での化学兵器使用疑惑を巡り、化学兵器禁止機関(OPCW)は4月10日、調査団を近く現地に派遣すると発表した。シリアと後ろ盾のロシアも派遣を要請しており、シリア外務省は調査団を「歓迎」し、「調査団に対して全ての必要な支援を提供する」と強調したと報道されている。

しかるに、米英仏軍は、その調査結果を待たないで、その数日後の14日、ダマスカス近郊の化学兵器関連施設3箇所をミサイル攻撃した。105発を発射し、その内14発は迎撃されたという。1回限りの非人道的兵器に対する破壊であり、戦争と言えないとの抗弁は成り立たない。明白な他国侵害であり、戦争とも言える事態である。

アメリカは事前にロシアと落としどころも含めて暗黙の了解を得た可能性はあるが、大戦争に至る危険な行動であると言わねばならない。ロシアが、シリアに対する攻撃はロシアに対する死活的に危険な攻撃と考えれば、国連憲章で認められている集団的自衛権の行使として、米英仏本土又は艦船に対する攻撃が国際法的には可能と考えられるからである。
集団的自衛権の行使は、かならずしもあらかじめ条約や協定によって約束されている場合にだけ許されるわけではない。条約上の根拠がなくてもこの権利を行使することが認められるとされている。
従って、ロシアとシリアの密接な防衛・軍事関係からすれば、両国の間にそのような条約がなくても、ロシアによる集団的自衛権の行使が可能であり、現実性を持っている。今後のロシアの出方に目を離せない。

さらに、今回のダマスカス攻撃は、シリアの化学兵器生産工場を破壊するものであり、その証拠を隠滅するものとも言える。OPCWの今後の調査は非常な困難を伴うこととなろう。ここにも、ロシアの暗黙の了解を推測させるものがあるが、だからといって今回のシリア攻撃が大戦争の危機をはらむものであるという評価は変わらない。核戦争が起これば人類は破滅に近い損害を受けることを忘れてはならない。          (2018年4月16日、記す)

安保法(戦争法)下の自衛隊で何が?

[弁護士  吉田 恒俊]

今回は、あるジャーナリストが収集した生情報をお伝えします。

全国の自衛隊では、いま米軍と同じ服装で、同じ武器を持ち、同じ軍事訓練がされているそうです。その結果、自衛隊の中の雰囲気は大変悪く、松島基地でも自殺、いじめ、鬱等神経の異常、強姦事件、更に殺人まで起きているそうです(極秘扱いになっています)。

さらに、航空自衛隊基地でファントムの整備士をしている方の話によると、今基地も雰囲気は非常に悪く、リストカットをする隊員も大勢いる、それに加えて家族への影響は大変なものがある。子どもたちの不登校、引きこもり、いじめ、鬱、家庭内暴力、家庭崩壊など、隊員の周りの人達への影響も計り知れないものだそうです。
こういうことが安保法の陰で進んでいるのです。

その中でも、安倍総理は、戦争をする自衛隊をめざして、本気で憲法特に9条の改正を進めているのです。自衛隊基地で起きていることは、遠からず大きな社会不安を起こすでしょう。

私の知人で、息子さんが自衛隊員で、いじめに遭って怪我をして、実家に逃げ帰ってきた人がいました。両親の抗議で警務隊(戦前の憲兵に当たる)が出てきて、調査をしましたが、予想通り有利な結果にならず、結局除隊することになりました。しかし、出動命令はないので脱走(脱柵というそうです)扱いにならないとしても、傷病扱いにならなければ懲戒処分がありうるので、正式の除隊までなかなか大変でした。

自衛隊は見え見えとして、日本の制度全般をアメリカナイズさせる企てが陰に陽に粘り強く進められています。司法制度も同様に例外ではありません。このことをしっかり認識して、抵抗する必要があると思います。

「家族農業年+10」(国連決議)

[ 弁護士 吉 田 恒 俊 ]

・私はこの40年間、家庭菜園をしています。もっぱら無農薬と有機肥料の野菜を食べたいという思いからです。最近25年間は自宅の隣の100坪の畑に食卓に上るものを中心に作っていますが、10分の1もまかなえていません。不足分はどうしても店で買う必要があります。

・市場に出ている野菜類も、最近は農薬や食品添加物への関心が高まって、一時とは違ってずいぶん改善されたと思います。とくに、私の知る良心的な農家は自身が食べる野菜を含め、売り物の野菜にもなるべく農薬を使わないように気を付けています。しかし、市場に出回る大規模農家の作る野菜類は、輸入品とともに、どんな農薬が使われているか油断できません。

・野菜類は地産地消であるべきで、市場原理に任せる大規模栽培はふさわしくありません。小規模・家族経営で顔の見える生産者の作るものならまだ安心できます。しかし、私は、家族経営農業で野菜を購入するなど夢のようですが、不可能と思っていました。ところが、世界的には、既に2014年を国際家族農業年として、小規模・家族農業の役割が見直され、支援に乗り出すための国際的な啓発活動が展開されたそうです。

その成果を踏まえて、昨年12月国連総会で、2019年から2028年までを国際的に家族農業の10年間(「家族農業年+10」)とすることが決議されたのです。日本も共同提案国だそうで歓迎したいのですが、素直に喜べません。政府は、現在さらなる農業経営の規模拡大や企業の農業参入、輸出戦略の強化を進めており、家族農業と矛盾するこのような路線を改めてもらわねばなりません。

・現在、世界約60か国にキャンペーンのサポーター組織があります。我が国でも、昨年6月、2014年以来運動を進めてきた関根佳恵(愛知学院大学) さんらが呼びかけ人となって「小規模・家族農業ネットワーク・ジャパン」が結成され、12月には都内で設立発表会が開催されました。私は、早速賛同者となりました。これからどんな運動が展開されるか楽しみです。

あっという間に

[ 弁護士 吉田 恒俊 ]

あっという間に松の内も過ぎました。しかし、松の内と言う言葉を聞かなくなりましたね。本来松の内とは玄関前に門松が飾られている期間のことで、慣習的に関東では1月7日まで、関西では1月15日までとなっています。だから、今でも15日頃までは、今年初めて会う人には「新年おめでとうございます。本年もよろしくお願いします。」と互いに挨拶を交わすことが多いようです。

最近は門松はもちろん玄関の注連飾りもしない家庭が多くなって、松の内という言葉が忘れられるのも仕方がないかもしれませんが、寂しい気もします。年の功か、私などは15日が過ぎると正月気分を捨てて今年も頑張るぞという気持ちが沸き上がってくるから不思議です。

正月気分が抜けたところで今年の課題ですが、政治の動き、社会の動き、仕事のこと、家族と自分のことなど、しっかり認識して生きていきたいものです。

政治では安倍首相の任期が続くかどうか。これは国民の人気と関係が深いです。社会では冬季オリンピック・パラリンピックが順調にいくかどうか、そして核兵器禁止条約の国際的広がりと日本政府の対応が重要でしょう。

私の仕事では事務所の移転があります。今の事務所が建て替えのために出ることが決まっています。家族と自分のことでは平凡ですが健康の維持となります。思慮深く、思いやりを忘れず、天から与えられたこの命を大事にしたいと思います。

アベノミクスが崩壊して円の暴落と物価の急騰という大混乱が来ないことを願っています。そうなれば今年の課題など吹っ飛んでしまいますから。

 

孫達との夏休み

[ 弁護士吉田恒俊 ]

 静岡に住んでいる専業主婦の娘は夏休みにはいつも3人の孫を連れて帰ってくる。今年も8月1日に来て19日に戻っていった。その間、私と妻は大忙しである。特に私は遊びと宿題の相手をしたり、おもちゃや本を買ってやったりとスキンシップでのお付き合いである。ゆっくり新聞を読む暇もない。

 女児4歳、同6歳、男児9歳の3児は同い年のように遊んでいる。喧嘩をしても、お兄ちゃんだから譲ってやるという発想はない。最近の傾向のようだが欧米流に対等に育っている。3人とも昆虫が好きで動く物はムカデや蜂を除いて何でも捕る。セミ、トンボ、バッタからカエルやザリガニも好きである。上の子と下の子などは平気でカエルやトカゲをつかむ。私と違って蛇も恐くないらしい。

 感心なのは夜になったら、その日に捕った生き物は全部逃がしてやることだ。男の子は始めは悔しそうにしていたが、死んだら可哀想という娘や私の教えに従ってくれる。

 東吉野村の旅館に1泊して川遊びをしたときは、子供らは澄んだ冷たい川に浸かって魚を追いかけていた。空気も綺麗である。ところが、部屋は掃除が行き届いているとは言え、ススメバチが紛れ込んできたりすると、大騒ぎになる。生の自然と接することの少ない子供らには驚異のようである。都会派の娘などはお化け屋敷のようだとひどいことを言う。ディズニーランドや遊園地など人工の「快適な」施設での遊びに慣れている子ども達には、もっと自然と付き合ってほしいと思う。
 
 宿の女将さんは、沢山の子ども達のグループは、来ても川遊びをしないで離れたプールに言ってしまうと嘆いていた。20日から静かな時間が戻って、土日返上で溜まった仕事をやるという毎年のパターンも、終わったら寂しいものである。