孫達との夏休み

[ 弁護士吉田恒俊 ]

 静岡に住んでいる専業主婦の娘は夏休みにはいつも3人の孫を連れて帰ってくる。今年も8月1日に来て19日に戻っていった。その間、私と妻は大忙しである。特に私は遊びと宿題の相手をしたり、おもちゃや本を買ってやったりとスキンシップでのお付き合いである。ゆっくり新聞を読む暇もない。

 女児4歳、同6歳、男児9歳の3児は同い年のように遊んでいる。喧嘩をしても、お兄ちゃんだから譲ってやるという発想はない。最近の傾向のようだが欧米流に対等に育っている。3人とも昆虫が好きで動く物はムカデや蜂を除いて何でも捕る。セミ、トンボ、バッタからカエルやザリガニも好きである。上の子と下の子などは平気でカエルやトカゲをつかむ。私と違って蛇も恐くないらしい。

 感心なのは夜になったら、その日に捕った生き物は全部逃がしてやることだ。男の子は始めは悔しそうにしていたが、死んだら可哀想という娘や私の教えに従ってくれる。

 東吉野村の旅館に1泊して川遊びをしたときは、子供らは澄んだ冷たい川に浸かって魚を追いかけていた。空気も綺麗である。ところが、部屋は掃除が行き届いているとは言え、ススメバチが紛れ込んできたりすると、大騒ぎになる。生の自然と接することの少ない子供らには驚異のようである。都会派の娘などはお化け屋敷のようだとひどいことを言う。ディズニーランドや遊園地など人工の「快適な」施設での遊びに慣れている子ども達には、もっと自然と付き合ってほしいと思う。
 
 宿の女将さんは、沢山の子ども達のグループは、来ても川遊びをしないで離れたプールに言ってしまうと嘆いていた。20日から静かな時間が戻って、土日返上で溜まった仕事をやるという毎年のパターンも、終わったら寂しいものである。

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事務所法律講座(相続と遺言)のご報告(第3回)

[弁護士 吉田 恒俊]

最終回です。最後までのご高覧誠に有難うございました。

5 課税との戦いで解決した事例
2015年1月以降、相続税の非課税の枠が「5000万円+法定相続人の数×1000万円」から、「3000万円+法定相続人の数×600万円」となり、最高税率も50%から55%になり、大幅に増額されました。節税対策はますます重要になっています。

下記事例は、不当な更正処分を跳ね返した事例です。なかなか大変でした。⑧の事例では、国を相手に不当課税だとして、国家賠償訴訟まで起こしました。高裁で納税者が勝利しました。真っ青になった国(税務当局)は最高裁に救いを求めて、何とか面目を保つというところまで追い込みました。⑦、⑧事件とも弁護士冥利に尽きる戦いであり勝利でした。

(1) 解決事例⑦ 私は、公認会計士と一緒に、被相続人生前中から相続対策を行った。主なものは①養子縁組と不動産の購入とその資金の借り入れであった。しかし、これらを実行した時点で、被相続人の様態が急変して意思能力を欠いていた。そのため、負債が認められず、莫大な税金が課せられた。 私は、異議申立を経て、不服審判を申し立てて、仮に借り入れ当時意思能力を欠いていても、それ以前から相続対策についての委任を受けていたのであるから問題はない、として強く争った。その結果、採決ではこちらの言い分が全面的に認められて、課税額は大幅に減少した。実益は約15億円であった。

(2) 解決事例⑧ 紙器製造業者が政務調査に非協力的であったとして、反面調査で売上額調べ上げ、それから申告にかかる経費を差し引いて利益を推計したので、税額は申告の20倍にも及ぶものとなった。私は、経費も反面調査すべきであること実額課税が原則であることなど、更正処分の不当性を突いて、税務訴訟を提起し、大部分を取消させた。
以上

事務所法律講座(相続と遺言)のご報告 ( 第2回)

[弁護士 吉田 恒俊]

前回の続きです。

3 遺言をした上で解決した事例
子ども達が仲良く遺産を分割することが、亡き親として何より嬉しいことでしょう。

(1) 解決事例③ 98歳でなくなった医師は、生前は奥さん亡き後20年以上も2人の女性に世話をして貰っていた。羨ましい御仁であった。子供は7人。彼は公正証書を作り、2人の女性に少しと、大部分の遺産を子らに公平に分ける、という内容的には平凡なものであった。但し、分け方はすべて遺言執行者である私に任せるというものであった。
財産は、預金、株式、ゴルフ会員権、不動産など沢山あったので、毎週土曜日に全相続人に長男さんの家に集まって貰い、皆さんの意見を聞きながら、具体的な分け方を検討して、分割案を練り上げていった。欲張りなことを言う人が一人でもいたら、私が遺言に基づいて強制的に分けますと、念を押したので、7,8回の集まりの最後まで円満に分割が終わった。

(2) 解決事例④ 会社の会長さんで、亡くなる半年ぐらい前に私が病院のベッドに見舞いに行ったときに、自筆証書遺言を作った。すべてを長男である社長に相続させるというものであった。会長の子どもには長男、長女、二女及びお妾さんに子が一人いた。自筆証書であっても法的効力は公正証書と何ら変わらない。この遺言のお陰でもめることはなく、他の相続人には遺留分として金銭で解決した。

4 相続人がいない解決事例
近しい人でも相続関係にない場合があります。その方には法定相続人がおらず、多額の財産を残してなくなった場合、遺産は宙に浮きます。そんな場合、近しく付き合っていたり、面倒を見ていた人は、特別縁故者として遺産の一部を取得できる場合があります。

(1) 解決事例⑤ 叔父さんがなくなり、その妻Aがいるが相続人はいない。義理の甥に当たる依頼者は、Aさんの療養看護を10年以上続けてきた。Aさんはかなりの財産を残してなくなったので、私は家裁に相続財産管理人の選任を求め、次いで依頼者を特別縁故者として遺産の分与を求めた。全財産の分与が認められた。

(2) 解決事例⑥ 私が相続財産管理人として関与した事例で、姪が亡くなり叔母2人が葬式など最後の面倒を見ただけというのがあった。1億円以上の遺産があったが、特別縁故で一人300万円が認められ、残りは国庫に入った。生計を同じくせず、療養看護もしていない場合としてはこんなものであろう。

☆次回は、「5 課税との戦いで解決した事例」の中から、2例を報告します。ご期待下さい。

事務所法律講座(相続と遺言)のご報告 ( 第1回)

[弁護士 吉田 恒俊]

1 はじめに
去る2月18日に、事務所主催で市民向け法律講座を開きました。私が「相続と遺言」のテーマで講師を務めました。参加は約10人で宣伝不足だったと思います。でも、皆さん熱心にお聞き下さいました。

自分の財産を思い通りにつかいたいという当たり前のことが、認知症や痴呆はなくても身体が弱ってできなくなることがあります。死後は当然何もできません。それをサポートするのが成年後見制度であり、遺言制度です。
体と頭が動けなくなってから後悔しないために、制度の利用をお勧めします。子どもや知人がいる人も含めてよく考える時代環境にあると思います。
相続税を節税するということも大切で、私は税理士と組んで対応しています。法律家の目から見た節税対策という視点が重要だと考えております。

以下、今回を含め3回に分けて、講演を基にして私の解決事例をご報告いたします。

2 遺言のない場合の解決事例
親としての最大の不幸は遺産を巡って子どもらが喧嘩することではないでしょうか。草葉の陰から後悔しても始まりません。

(1) 解決事例① 農家で長女が後を継いでいたが、次女も近くに住んで、農地の一部を耕作していた。父母が亡くなって相続が始まると、次女は2分の1の法定相続分を要求した。大部分を相続しようと思っていた長女は怒り心頭に発して、遺産分割解決後も不仲になってしまった。私は、長女の代理人として、寄与分を大きく主張してかなり次女に譲歩させた。

(2) 解決事例② 自宅で父と食品製造の家業を一緒にやってきた長男には、長男名義の不動産はなかった。調停で妹と弟が唯一の遺産である実家を売却してでも分けよと言う。長男にはお金を払うだけの資力はない。こんな場合、できるだけ時間をかけて、裁判所の流れに任せて、安易に自宅を売却することはしない。妹らが諦めるのを根気よく待つ作戦をとる。成功の確率は高い。

☆次回は、「3 遺言をした上で解決した事例」及び「4 相続人がいない解決事例」、次々回は、「5 課税との戦いで解決した事例」の中から、各2例ずつを報告します。ご期待下さい。

「弁護士の年収が低下」?

[弁護士 吉 田  恒 俊]

先日の新聞に弁護士の収入が低下したという記事が出ていました。今年の3月に法務省が日弁連の協力を得て平成15年分について実施した調査結果の報告です。マスコミに人の懐具合を気にして貰わなくてもいいと思いますが、憲法と人権の擁護者としての弁護士の収入が低すぎたら、それどころではなくなるだろうという温かい配慮なのでしょうか。

記事によれば、5年前の平成10年に比べて、弁護士の収入は全体的に低下傾向にあります。登録1年目の新人弁護士は年収568万円で、5年前(平成10年)の778万円より27%も減っています。その原因として、サラ金事件が減ったことと弁護士の人数が増えたことを挙げています。それに加えて、日弁連は法的需要が伸びていないことも指摘しています。

気になったのは、「弁護士が以前ほど稼げない実態が浮き彫りになった。」との記事です。弁護士になる人は稼ぐためになったかのようで抵抗がありました。私は、どんな職業も稼ぐためというより、社会的役割という要素が大事だと思うのです。誰もが生活のために働いていることは間違いないのですが、同時にほとんどの職業には社会的役割があります。

今の職業を天職とする人にとっては稼ぎよりも仕事の方が大事なのです。人生の目的は自分の天職が何かを見極めてそれに邁進することだと思いますが、仮に今の職業が天職と思わなくとも、その社会的役割を自覚して取り組むという姿勢を常に心がけるべきだと思うのです。

確かに、私を含め多くの弁護士は収入が減っていると思いますが、幸いこれまで身近で食い詰めた弁護士は見かけませんでした。私は、大阪で弁護士になったときの所長弁護士から、「人のためにやっているという気持ちがあれば、困ったときは必ず誰かが助けてくれるから。」と教えられたことを思い出します。誰もが稼ぎだけを追い求めると、ぎすぎすした社会になりかねません。

日経の記事は意図するところはともかく、全体として弁護士の評価を引き下げています。この記事を見て司法試験の受験者がさらに減ることが心配です。
*日本経済新聞16/8/10朝刊

子供に勉強させるには

[ 弁護士 吉田恒俊]

誰もが子育てで悩むことがあります。特に、母親は勉強をしない子供に勉強をさせることに神経を使います。小学校から受験競争を勝ち抜くためのノウハウ本がたくさん出ています。どれを読んだらいいか、お母さん達はそこで迷います。本はよく売れているようですが、成果があったとして定番となるようなものは聞きません。

その理由は、買っても読まないで積んどくだけ、読んでも理解できない、理解できても実践しない、そもそも我が子には合わない、等が考えられます。私と同じ事務所の佐藤弁護士は、奥さんが最近有名になっている佐藤亮子さんです。佐藤夫妻の上の3人の男の子は現在東大医学部(理Ⅲ)在学中です。4番目の娘さんは来春受験ですが、東大法学部に進学し、佐藤弁護士の後継になってくれるといいのですが・・・。

亮子さんは「尾木ママ」ならぬ「佐藤ママ」などと言われていますが、すでに「灘→東大理Ⅲの3兄弟を育てた母の秀才の育て方」など数冊の本を出しています。どの本も分かりやすくて実践的ですから、子育ての終わった私も、我が2人の子どもにもこうすればよかったと思うところが多いです。もっとも子育ての中心は妻でしたから、妻がその気になることが前提ですが。

ところで、先日のテレビで、ある女性研究者が、統計上のうらづけがあるとして、子供に勉強させるには「勉強しなさい。」と言っても逆効果だ、それより目先のご褒美をちらつかせた方がいい、という説を発表していました(ご覧になった方もおられると思います)。「子どもはとにかくほめたおす。」、そして「勉強を嫌がる子には成功体験を与える。」という「佐藤ママ」本を補完するとも言えるでしょうか。

私の孫である小3男児も休暇に帰ってきたら遊びまくって、宿題もなかなかしないので、母親である娘はやいやい言っています。それでも勉強しないのですが、静岡の自宅では力尽くでやらせているようで、教育上はどうかなあと心配しています。

私は、佐藤弁護士からもらった奥さんの本を、読んだらすぐ娘に回しています。リビングでの勉強は「佐藤ママ」の教えの1つですが、娘なりに少しは実践しているようです。ほめるだけでなく、目先のえさで釣るような上記学者の説は、情操教育上まずいのではないかという意見もありますが、「ものは試し」で、娘に勧めてみようと思っています。これだと結果はすぐに現れますから、どんな結果が出るか楽しみです。
(2016/09/26)

「絶望」の裁判所

[弁護士 吉 田 恒 俊]

今年の残暑見舞いで、わたしは、”元裁判官の『絶望の裁判所』という本があります。最近私も、誰もが執行猶予だという被告人が実刑にされて「絶望」しました。”と書きました。この件は、去年3月の弁護士ブログでも「これでいいのか刑事裁判」と題して触れました。この不当に執行猶予を受けられなかった事件は、その後最高裁でも三下り半の決定で確定し、いよいよ9月初めに収監されることになりました。
70歳を超えた高齢の女性に1年あまりの懲役はきついと思います。前科は40年前の詐欺等1件だけ(それも執行猶予がついていた。)、全額弁済の供託をし、見守り役の娘さんと2人暮らし、しかも事業を経営しているというのですから、偏見がなければ、絶対に執行猶予が付くケースと考えられます。

「わが国の刑事裁判はかなり絶望的である」とは、1985年に、刑事法の大家だった平野龍一・元東大学長の言葉であります。80年代には免田事件や財田川事件、松山事件、島田事件と、死刑再審が相次いで、いずれも無罪となりました。

最近、この言葉が再び刑事裁判に投げかけられています。2010年の足利事件、2011年の布川事件、2012年の東電女性社員殺害事件、そして今年の東住吉放火事件と毎年のように再審無罪の判決が出ています。いずれも無期懲役が確定した人に再審が開始され、無罪の判決が確定しています。状況はやはり、かなり絶望的であります。なぜなら、これらの事件は氷山の一角で、その底辺には膨大なこれに類する絶望的裁判が横行していると考えられるからです。

私の経験した事件は、300万円で売った土地の横領事件で、判決も「懲役1年2月」という小さな事件ですが、裁判官が検察官の顔色を窺い、起訴されたら有罪という偏見を持っている点は何ら改善されていないところは、上記再審事件と同じです。

『絶望の裁判所』を書かれたのは元判事で現在明治大学法科大学院教授の瀬木比呂志氏です。彼がここで言っていることは刑事裁判よりも民事裁判についてですから、もっと深刻です。圧倒的に民事裁判が多いわたしも納得できるところが多いので、病弊は刑事裁判に止まらないと言えます。瀬木氏は、最高裁事務総局の支配と統制に触れ、その支配の下にある裁判官たちについて、「檻」の中の裁判官=精神的「収容所群島」の囚人たち、とまで呼んでいます。裁判の独立はどこへ行ったのでしょうか。

わたしはまだ民事裁判のすべてに絶望してはいませんが、何人かのひどい裁判官に当たって苦労したことがあります。その上、上記の刑事裁判を経験したことから、「絶望」にカッコを付けて裁判一般への警鐘としたものです。本当に裁判に絶望したら弁護士はやっておれないですから。

何事にも例外はあります。わたしは刑事でも民事でも立派な判決をする裁判官がおられることを否定しません。瀬木氏の本を読んで反発される裁判官も納得される裁判官もおられることと思います。要は個人を超えた制度の問題が大きいのです。