「臭い仲」

[弁護士 吉田 恒俊]

 新年から臭い話でお許し願います。
 正月の仕事始めの翌日、ばったりトイレで隣室の弁護士と会った。彼はちょうど小用を終わったところであることは腰を振っていたので分かった。こちらはトイレの入り口付近の洗面台のところにいたが、彼がこちらを振り向いたので構わず新年の挨拶をした。彼は慌ててチャックを挙げて「本年もよろしく」と言ってくれた。正月早々臭い仲になった。

 とは言え、最近トイレが臭くなくなったので感心する。公共のトイレも女性用は当然として男性用も臭いが少ない。我が事務所のビルはほとんど臭わない。禅寺での修行で一番つらいのは便所掃除だそうだが、最近はどうだろう。お寺のトイレも近代化しているのではなかろうか。

 理由は水洗に加えてウォッシュレットの普及であるが、男性用は立位トイレでの水洗の仕方もあるのではないか。立ったと同時に水が流れ、終わって離れる間際にも水が流れる。それも惜しみなく流す。その上でしっかり掃除すれば、トイレは座敷の仲間入りだ。ホテルで、バスタブと一緒にウォッシュレットがあるのに、かつては違和感を持ったが、最近はなくなった。文明の勝利と言えよう。

 私は奈良の田舎が祖父の家で、小学生の頃よく泊まったものだが、トイレは家の外にあった。冬は寒く、いつも臭ったが、外気と混ざるのでさして気にならなかった。田んぼの隅っこには肥料用の小便たんごがあって、屎尿が溜められていた。発酵させて野菜類の根元に撒くのだ。私も手伝ったことがある。小便たんごは始めは臭いが発酵して次第にそれが表面を覆い、落ち着いた臭いとなる。時にはいたずら小僧が誤ってそこに落ちると悲劇である。発酵しつつある屎尿でもやはり臭い。落ちた人は名前を変えるしきたりとなっていた。

 私のトイレでの新年の挨拶も、もう臭い仲と言えなくなったかもしれない。しかし、田舎の田園風景を思い出すと少し寂しい気がする。発酵してきれいな空気と混じって落ち着いた小便たんごの臭いが懐かしい。