平和な島とは

[弁護士 北岡秀晃]

 日本の最西端の島、与那国島は、アルコール度数60度の花酒(泡盛)「どなん」でも知られる国境の島であり、是非とも行ってみたい島の一つです。
 この与那国町で、8月11日、陸上自衛隊の誘致を巡って町長選挙が行われ、経済効果を強調した誘致派の現職町長が勝利したというニュースがありました。有権者数1128名、投票率95.48%、わずかに47票差という島を二分した激戦でした。

 尖閣諸島から150キロしか離れていない与那国島には、中国との緊張の高まりや、台湾に近いこともあり、陸上自衛隊の沿岸監視部隊を配備しようという圧力が高まっています。8月13日の産経新聞のコラムは、「国境の島、与那国島の安全を守っているのは、2人の警察官と彼らの携行する拳銃2丁だけだ」と書き、これは驚くべき事実であるとして、周辺海域の防備を固める重要性を強調し、国が前面に出て島民を説得すべきと主張しています。

 しかし、本当にそうでしょうか。20年ほど前、鹿児島県の沖永良部島に行ったとき、玄関はもちろん家中の戸や窓を開け放して、みんなが家を出て行く様子を見て、犯罪もない平和な島だと驚き、うれしく思ったことがありました。与那国島も2名の警察官がいれば足りる安全で平和な島なのでしょう。ここに陸上自衛隊を駐屯させることが、本当に与那国島を平和で安全な島にするのでしょうか。むしろ、島の安全を脅かすことにならないのでしょうか。

 与那国島は、テレビドラマ「Dr.コトー診療所」のロケ地となったところでもあります。与那国島にはこちらの方がよく似合います。

広告

残暑お見舞い申し上げます~ふるさと高知のこと~

[弁護士 山﨑靖子」

 立秋が過ぎ、お盆も終わりましたが、暑い日が続きますね。天気予報によれば、今月いっぱい暑い=熱い=そうです。
 さて、一週間ほど前、四国の小さな町が日本一で話題になりました。そうです。暑さ日本一になった高知県の四万十市です。私も高知県出身。日本一の場所は実家から車で3時間ほど。高知にこんな暑いところがあったとは。これは、お盆休みに行ってみなければ・・・・・と続くわけではありません。が、せっかく高知が全国的に話題になったので、思ったことを書いてみようと思います。
 
 四万十市をご存じでしょうか?四万十川は知っていても、四万十市は今回の日本一で初めて知ったという方も多いと思います。
 四万十市は、平成17年に中村市と西土佐村が合併してできた高知県の西にある新しい市です。ですので、高知出身の私にとっても、四万十市と言われても・・・・・という感じでなじみがありません。
 さらに、今回話題になったところは旧西土佐村。ニュースで聞いたとき、どこ????と思いました。
 そうは言っても私は高知の出。父親は高知の西の方の出身。もしや親戚がいるかも・・・と思って実家に電話しましたが、誰もいない、とのこと。
 ニュースで地元の人のインタビューを聞いていても、言葉もイントネーションも私の土佐弁と全然違う。
 改めて、高知は広い、と思いました。

 (最後に)甲子園では明徳義塾高校が大活躍中です(8月18日現在)。今年の高知は多方面の話題で暑い!ぜひ、暑い高知にお越しください。龍馬とアンパンマン以外の高知に出会えます。

「マニュアル人間」卒業

[弁護士 北岡秀晃]

 走行距離が15万キロを超えた愛車を買い換えることになりました。同時に、30年来こだわって乗り続けてきたマニュアル・トランスミッション(MT)の車から、オートマチック(AT)車に乗り換えることになりました。
 
 日本の乗用車の中でAT車が占める割合は、既に2003年に95%を超え、新規普通自動車免許取得者の中でも、AT限定免許が2011年に54%となり、限定なしを上回ったといいます。マニュアル(MT)車にこだわった「マニュアル人間」は、今や希少種とも言えます。
 従って、AT車に乗り換えることについては、後ろめたい気もして、後ろ髪引かれる思いでしたが、やはり「卒業」することにしました。おかげで、今では非常に楽ちんに運転しております。ただし、左足と左手が手持ちぶさたで、坂道などでさっとクラッチペダルを半クラッチ状態に合わせるなどのテクニックを楽しんだり、失敗してエンストしたりすることもなくなりました。
 
 人間は、便利になって、今までやっていたことをやらなくてよくなれば、今までできていたことができなくなります。マニュアルどおりにしか行動・判断できないマニュアル人間は困りますが、マニュアル(自動ではなく手動)にこだわった「マニュアル人間」であることは望ましいことかも知れません。
 それでも年齢のせいもあるのでしょうか。AKBじゃないけれど、卒業します。

左足で登った富士山

[弁護士 吉田恒俊]

 去る7月23日、早朝富士山頂にいました。早朝2時前、息子健太郎と一緒に8合目の池田館から登りはじめ、5時過ぎにようやく山頂の浅間大社奥宮に登頂しました。あこがれの山頂は意外に外輪山が小さく感じました。火口はおどろおどろしい気配で一番印象的でした。
 途中、ずっと満月の月光を浴びながらゆっくりゆっくり登りました。4時頃から東の空が明るくなり、枕草子で「春は曙」の曙を体感しました。しかし、歩みは遅々として進まず、9合目の山小屋、9号5勺の山小屋と、何とかふうふう言いながらようやくたどり着くという有様でした。半月前から出ていた不整脈は、トントンパッと1拍消えて、またトントンパッと1拍消えるのが分かります。ちょっと登ったらすぐ息が切れて休憩です。

 22日の朝、富士宮ルートの新5合目から登りはじめ、8合目の山小屋に午後4時頃着いて、8時頃横になりました。小屋の人が、明日は午前2時と3時に起こします、というから、当然皆さん2時まで寝ているものだと思いました。 せんべい布団でおしりが痛くて熟睡できず、うとうとしたら皆さん12時頃から起き出したので、4時間しか横になっていないのに、もう寝ておれません。なんでこんなに早く起きるのだと思ったのですが、皆さん2時からでは登り切れないということを知っていて、早く出立したのです。

 私は、右足の股関節が曲がりません。手術をしてそうなったのは、13歳の時ですから、今から58年前になります。平地を歩いたり、少々の坂道を歩くのには不自由はありませんが、階段や岩場を右足で上がることは難しいのです。だから、山登りの場合、高さを稼ぐのは原則左足だけで、右足はそれを補佐するにすぎません。足腰の疲れは健常者の皆さんの倍以上になります。それでも富士山に登れたのは、約60年間これで生きてきたという慣れと、幸か不幸か私の体重は大変軽いので、左足への負担がその分ぐんと少ないからだと思います。他方、体が大きい息子は登りがしんどかったそうです。

 山頂の奥宮で参拝してみやげにお守りを買い、さて3776メートルの剣が峰に登ろうと思ったら、ガスで辺りは真っ白になっていて、目の前にあるはずの剣が峰が見えません。2,30分待てばいいのでしょうが、気が急いたので、6時過ぎから下りはじめました。登る途中の休憩で忘れた右の手袋をどなたかがロープの柵にくくってくれていたのを取って、ご機嫌で一気に登山口である新5合目の山小屋まで戻ってきました。途中5つの小屋で休憩しながらでしたが、時計を見たらまだ10時40分でした。登りも下りも杖は1本でしたが、右足の代わりとなって大変役に立ってくれました。

 娘泰子の住んでいる富士宮市内のマンションまでバスだと大分待たねばならないので、いったん買った切符をキャンセルしてタクシーに乗りました。切符売り場のおじさんがタクシーの運転手と運賃の交渉をしてくれたのには驚きました。
午前11時半、泰子と孫3人に囲まれて、ホッとしながら、すぐに風呂に入って汗を流しました。心づくしの富士宮焼きそばと白粥をいただいて、2時過ぎに駅まで送ってもらい、夕方にはもう息子と奈良に帰っていました。今朝はあの富士山頂にいたのか、と思うとしばらく不思議な気分でした。

 それから1週間、行くとき薬を忘れて飲んでいなかったのに、不思議に不整脈を感じません。お医者さんは心電図を見て確かに出てないので、薬はそのときに飲みなさいと言ってくれました。富士山さまさまの登山となりました。 両足とも筋肉痛が出なかったことも幸いです。富士宮ルートは勾配がきついので、この次は別の緩いルートで行きたいです。娘は今年中に静岡市に転居するし、家内からは「2度と行くことはないわね!」と釘を刺されていますが、皆さんのお陰で意外に楽な登山でした。                 (平成25年8月1日記す。)